新企画発表!『長江(揚子江)の最初の一滴を求める旅』
約1年かけて長江を遡る旅を始める。
連続的は旅ではない。
中国、長江をじっくりと味わうような旅をしていこうと思う。
長江の源流は6月中旬から9月初旬までしか入れないはずです。
さだまさしさんが辿った道、街は勿論、長江沿いの街を紹介していこうと思います。
そして10年前にはできなかったこと(映像化、ライブ配信など)もやってみたい。
夏前には第一歩を踏み出そうと思います。
— さままさしさんへの想い
僕が中国に住むと決めたのは、僕が8歳の時
これまで10歳と書いてきたけど、考えてみたら小学校3年生の時だったので8歳の間違いでした。
で、8歳の時に何があったのか?
「さだまさし」さんの歌との出会いです。
「フレディもしくは三峡街」の歌詞にある
”♪フレディ、あなたと出会ったのは漢口”というフレーズに、
言いようのない郷愁を覚えたのですよ。
父の転勤で生まれた町を離れ、札幌に転校した年だったので、曲調や歌詞が子供ながら心に響いたのです。
8歳からファンになったさだまさしさんは、その後映画「長江」の制作を手掛け
、結果的に28歳で35億円の借金を抱える事になり、結果的に30年かけて完済したのだが、
それ故に今でも現役で歌手として活動している(確か日本人で4474回。日本人で3000回を超える歌手はさだまさしさんだけ)。
その映画「長江」の目的だった最初の一滴にはたどり着けずに終わってしまっている。
つまりさだまさしさんは、最初の一滴を見る事も出来ず、
35億の借金を背負ったままの人生となっているのだ。
もしかしたら彼にとってみれば「長江」は忌々しい存在かもしれない。
しかしそれ故にさだまさしになれたともいえる。
・・・・と、勝手に解釈してみた。。
僕の人生、さだまさし無くして語る事は出来ない。
彼が居なければ中国に興味を持つ事もなかっただろう。
今この瞬間もなかった。
それほどまでに僕の人生を決定づけた方への想いを込めて、
僕は『さだまさしが見たかった長江の最初の一滴を、僕が代わりに見に行き、
その話を手土産に本人へ感謝を伝える』事を決めた。
自分が80歳になって人生を振り返ってみた時に、はっきりと思い出せる節目の企画として納得できると思えた。
これだけ中国を想い続けた来たのだ。自分の足で行けるところまで行ってみようと思った。
40歳の時に旅に出たようなやり方はできないけど、長江を遡る旅を始める。
100年時代の50歳。文字通り折り返しの年齢だ。この50年間を振り返る(遡る)つもりでやってみる。
因みに源流は、10年前に訪れた黄河の源流の地域だ。標高5500m。最初の一滴は氷山から始まる。
源流最後のアプローチはさすがに自転車では不可能のようだ。
片道250Kmの完全無補給地帯で道路もない。凍土が解ける時期なので湿地帯だ。
おそらくオフロードバイクになるだろう。
10年前に死ぬほど苦しかった高山病を思い出すとかなり気が滅入る。というか行きたくなくなる。
チベット犬や狼の攻撃も受けた経験上、半端な気持ちで行くことはできない。
これから約1年かけて長江を遡る旅を始める。連続的は旅ではない。
中国、長江をじっくりと味わうような旅をしていこうと思う。
そして10年前にはできなかったこと(映像化、ライブ配信など)もやってみたい。
そしてその話を肴に、さだまさしさんと対談してみたい(笑)。