【黄河源流S#037】標高4600mにある小さな村の希望学校-走行距離39.9km
2011年07月16日 青海省 /
食堂テントは快適だった。
8:00から子供たちの朝体操に一緒に参加してみた。寒さにみんな鼻水ズールズル♪
あ・・・僕もだった。寒さで鼻の感覚がないので、鼻水が垂れていても気が付かなかった(笑
さぁ、出発!黄河の源流まであと僅かだ。「麻多郷」の村は、100m程度の小さな村。人口の半分は小学生だった。
村を出るとすぐに・・・・・すぐに・・・・み、道が切れている!?文字通り道が切れていて、川が流れている。周りを見渡しても橋は無い。うーむ・・・。行くしかないな。靴下を脱いで川の中に自転車ごと乗り込む。気温10℃。水温不明だが切れるように冷たい。荷物は少し濡れたが大丈夫だろう。そこから砂利道はさらに悪路と化し、砂利?小石?とは呼べない小岩?の道となってきた。そして続く上り坂。3時間ほど上りつづけ、なんと気がつけば過去最高標高の4600mに到達。峠でお昼ご飯。
聞けばこの先「黄河の源流」まであと少しらしい。今日中には着けそうだ!
・・・ところが・・・ここから先、道が消えたのだ。
川で分断され、その先に道がない。
自転車を置き、川を渡り次に続く道を探すが見つからない。
人はさっきの峠に一人。車も来ない。
(来ないのではないね。来れないのだね)
そして道はない。戻る事はできるけれども・・・。
でも考えてみたら黄河の源流に向かっているのだから、
川に沿っていけば着くはずだよね?と当たり前の事に気がついた。
しかし、川沿いを歩けるような道ではない。と言う事で・・・
川を歩くことにしました。
これが正解だったみたいですね。結局川を歩いていくと、再び道らしきあぜ道が見つかりました。
果たしてこれが黄河に向かう道かどうかはわからないけれど、今はこれしかないのだから、、、と進む事に。
夕方に遊牧民の家の前を通り過ぎ、お茶に誘われた。
彼らの庭先(どこまでが庭?笑)には自家製乾燥チーズが並んでいた。
乾燥チーズ。甘みと塩味の素朴な味わい。
一服したのち再び走り始める。
そう、今日は源流到着日なのだから・・・・。
しかし現実はそうはいかない。
次の峠を越えると、今までにない大きな川が道を分断しているではないか!
もう・・・・腹をくくって脱いで渡ろうかと思ったが、
向こう岸にチョロチョロと人影があるではないか!
その数は徐々に増えて10人ほどが向こう岸に立っている。
彼らのアドバイスで少しだけ上流に行ったところが比較的浅くなっていて、服を脱がずに無事に渡れた。
彼らはすぐ近くにある学校から来ていたようだ。
・・・・・あ、昨日の学校の校長がこの先にも学校があると言っていたのを思い出した。
そして彼らの「希望学校」に立ち寄る事になった。
昨日も学校、今日も学校♪
この学校は昨日の学校よりもかなり小さく、全校生徒35人で先生は5人。
・・・・で案の定「良いじゃないか!明日源流に行けば!」という誘いを断りきれずに今日はここまで。
まぁ、源流は逃げないからね。
高倉健のような(?)副校長の部屋に通され、アレコレと話を聞いてみたところ、
この学校は2008年に黄河源流のすぐ近くから引っ越してきたそうだ。
青海で最も小さな小学校らしい。
当然電話もネットも携帯も通じない。
書き忘れたが、昨日の学校もここもそうだが、電気は通じていない。
すべて太陽発電と自家発電のみ。水は川の水。
食べモノは一週間に数回、僕が3日前に出発した馬多県から
バイクを連ねて物資を運んでくるらしいが、はやり天気によっては来ない事もあるらしい。
なので食料などは自分たちでも備蓄してある。
また、この県の公務員の給与は低く、副校長5年目の彼の月給は1000元(13000日本円)。
その他の手当ては一切なしだそうだ。
気がつけば今日は土曜日。
近くに住む(と、言ってもバイクで数時間の距離)の学生は実家に帰っているらしく、
残っている学生は15人程度。実家と言っても遊牧民なので住所のないテントだ。
土曜日だったの授業は午前中で終わっていて、グランド(?)で先生と生徒がバスケットをして遊んでいた。
昨日と似た風景でありながら何かが違う。余裕の無さが昨日に比べて更に色濃いからか?
そんな中でも、昨日の学校と同じくお祭りのための民族舞踏の練習に先生たちは夜遅くまで励み、
耳慣れない民族音楽を聞きながら校庭に張ったテントで眠った。
食堂に張ってあった時間割。お昼休憩は2時間40分もある!夜食もある。
二段ベッドは快適~と思ったら、一つのベッドに2人だった・・・。
みんなで記念撮影